胸をはって 前をごらんよ

ザクザク沼が増える

さみしいを言語化したくなったので

よくわかんないけど書こうかなと思った マジで何にもわからんけど 感情

 

wowakaさんが亡くなった。ヒトリエからのお知らせが来た時、わたしは大学の授業を普通に受け……る前に盛大に電車の遅延を食らってブチギレながらヒトリエを聞いて心を上げていた。大学の最寄りに着く前にヒトリエからのお知らせが来ていたけど、その文面のあまりの不穏さに見る気がしなくて、怖くて完全に放っておいた。2限終わりくらいに知り合い(よりは近い大好きな子)から連絡が来て、あっやべーんだな、を確信して、その子に返信する前に勇気を出してお知らせを開いた。その日は1日使い物にならなかったし、友達に状況を説明しながらゲラゲラ笑ってた。感情が一周回って笑いになっちゃってた。推しの訃報が来たことを話しながら笑ってる女、シンプルに狂ってるから話聞いてくれた友達には悪かったなって今になって思う。

Twitterでも大騒ぎになってて、7つくらいあるアカウントのどこに逃げてもその話してるからすごいキツかった。すごいキツいんだけどTwitterがやめられなくてずっとwowakaさんがどれくらいみんなに愛されてたかとか、どれくらい惜しまれてるかとかを探してた。wowakaさんのアカウントにも飛んでライブの後のツイートのほとんどに「また会いましょう。」って書いてあんの見た時が未だにツラさの最高値をキープし続けている。

 

お知らせ見てからしばらくはヒトリエが聞けなかった。メンタルがやばくなるんだろうな、と思って聞いてなかった。このまま一生聞かなくなる可能性があるな、それはやだな、と思ってたらニコ生でMV一挙をやったからそれがきっかけで聴けるようになった。気づいたのが遅かったから付けたらサブリミナル・ワンステップが終わったとこだったから好きな曲見逃して悔しかった。そっから普通に聴けるようになって、まだ買ってなかった「ai/SOlate」の初回盤を見つけたから買ったりして、全曲ドツボじゃねーか好きすぎる!!!って無闇にキレたりしてた。キレんな。

 

よねづさんのブログを読んだ時、普通なら泣くとこなのかもしれないな、っていう文だったのに酔ったwowakaさんがかわいすぎてクソクソ萌えた。それと同時に、亡くなってから人柄を知るってくらい虚しいこともそうないな、とも思った。


自分語りしかできねえな いいか


wowakaさんの曲が人生で初めて聞いたボカロ曲だったのでわたしはwowakaさんに二回人生を変えられている。予備知識ゼロでボカロを初めて聞いた時になんとなくクリックしたのがwowakaさんの曲で、そのまま二、三年はボカロにどハマりしてたし、ヒトリエだってバンド名と曲名しか知らない状態ですとーんと落ちたらwowakaさんのバンドだったから運命というのはあるのかもな、という気持ち。


追悼会は行った。チケットなんてあるわけないからただお花をあげに行った。

一人で一番お気に入りの服を着て、大学のバンドの練習の後そのままギター背負っていった。その日の朝に衝動的に思い出して、ギターケースにポラリスの缶バッジつけていった。なんとなくヒトリエが好きな自分を他の人に表明したかったのかもしれない。痛いね。

ライブハウスにギター持って行くって落ち着いて考えたら道場破りみたいなもんだったんじゃね?という気持ちはあるけど特に後悔はしてない。

とりあえずお花をあげようと思って献花に行って、指示に従ってお花を受け取って右を向いた瞬間に笑顔のwowakaさんが目に入った。最高の笑顔ってこういうことなんだろうな、ってくらいキラキラしてカッコよくて素敵な写真だった。生きている!!!!って感じの写真だった。なんかそれ見てたら笑いが出た。感情が笑いになって出やすいんだなって思ったけどあまりにも場違いだから慌てて抑え込んで、お花をあげて、しばらく手を合わせた。わりと早くに行ったから埋め尽くすってほどではないけどそこそこの数がある白いカーネーションと、青と白を基調にしたお花を見て、wowakaさんは青が好きだったんかなとかちょっと考えて、そんなことも知らないんだよなってびっくりした。wowakaさんのギターのド真ん前に陣取ってなんかとりとめもなく色々考えた。使い込まれているのがわかる綺麗なギターだった。ありがとうございました、だいすきでしたを頭の中で繰り返すくらいしかできなくて、近くで泣き崩れてるファンの人を見てたらいたたまれなくなってさっさと出た。特に泣きもせず、胸に何かつっかえたままみたいな感じだった。帰りの電車で白のカーネーション花言葉を調べたら「私の愛は生きています」だったから無理じゃん???という気持ちになった。その通りだよ。

 


写真展も見た。ほとんど耳でしか知らないヒトリエを目で見た。HOWLSがずーっと流れてて、でもなんかよく聞くとたまに変なとこで飛んだりしてて、なんなんだろうな、と思いながらめちゃくちゃゆっくり歩いて全部見た。多分。写真の中のヒトリエはキラキラどころの騒ぎじゃなくて、ギラギラしててかっこよくてすごいなー、こんなバンドだったんだなー、と思った。なんか、もう見られないんじゃないかとか悲壮な考えは全部吹っ飛んでて、わたしのだいすきなバンドの写真を見ているっていうそれだけの気持ちだった。特に前半。後半はアー写だとかオフショットだとか、ステージじゃないヒトリエばっかりで、そっちは少し辛かった。みんなでニコニコして犬(これで猫だったらどうしよう記憶が怪しすぎる)をかまってる写真とか、ライブハウスの楽屋みたいなとこで準備してるらしいところとか、車止めかなんかに座ってるwowakaさんとか。この座ってるwowakaさんがなんかやたら可愛くてわたしのツボだった。あ、なんか、好きだな、みたいになったまま出た。「足元お気をつけください」って声で足元見たらマジで落ちる寸前だったから間が抜けてた。


物販はちょっと興味があったけど、死ぬほど並んでる人を見てやめた。多分わたしは物を持っていてもしょうがないな、と思ったから。帰り道はずっとヒトリエを聴いて帰った。色々とりとめのないことを考えたけどとりとめがなさすぎるのでここには書かない。普通に帰りの電車で寝た。目を覚ましたら青が流れてて、青だな、と思った。青に関しては抱えてる感情が不明瞭すぎるから何も言えない。


家帰ってから普通に夕飯作って食ってバイトに行った。追悼会の話が来る前にバイト入れてたから休むわけにもいかなくて普通の顔してバイトして帰ってきたらとっくに追悼会が終わってて、Twitterのトレンドにwowakaさんが入ってるのを見てあー見なきゃな、と思ったけどまだ見てない。ニコ生の視聴予約っていつまで見れるんだろう?一度しか見られないからこの一度をマジで心して見ないといけないな、と思ったら見られなくなった。セトリもMCもTwitterで漁ったからあとは映像で確認するだけ、って状況で止まってる。なんか最悪見られなくてもいいかもしれない。ヒトリエがこの先も存在することはわかってるし、わたしはまだ持ってないCDが何枚もあるし、ヒトリエのファンとしてはまだスタートラインから一歩進んだくらいだから、ただCD買って聴いて好きだな……って思うだけでもいいかも。多分そのうち見るんだろうけど。


正直な話、今でも実感がない。理解はしてるし受け止めてもいる。もう会えないこともわかってるしwowakaさんの独特の歌詞とか、グルメトーキョー(だいすき)の平易で穏やかなのに聡明な文がもう新しく読めないのもわかってるんだけどなんか実感がない。

わたしの心の中で生きてるとかそういうなんかそれっぽいことではなくて、死んじゃったの?そっか………みたいな、なんか遠〜〜〜〜〜くのひとの死を聞いたみたいな気持ちで、あの献花を見てもこの体たらくなのが全然意味がわからない。寂しいは寂しい。寂しいで止まってる。事実以上の感覚がないって感じ。何言ってんだろうね


全然わけわかんないけどわたしはヒトリエがだいすきだからそれで良いかな!まだ好きだよ!また会いましょうを信じてるよ!だいすき!!